西浦 満智子さん(美原町商工会女性部)
<ボランティアへのかかわり>
    皆さん、こんにちわ。私は大阪美原町の、西浦です。私の住む街は、唯一鉄道・電車の駅の無い町です。車・バス・自転車・自動車にて最も寄りの駅迄出て、通勤、通学、お買い物にと、何と大阪にもこんな所があったのかと、市内より引越してきた時はびっくりしました。
    そんな中でうれしい事がおこりました。車社会の中で、高速道路への乗り口、降り口の両方が町の真中に位置する所に着きました。
どんなにか皆が喜んだことでしょう。喜んだのもつかの間、ゴミ公害です。降り口乗り口の道路、街路樹の中に、側道に、タバコのすいがら、弁当ガラ、ジュースの空缶等々、どっちを見てもゴミの山。一辺して薄汚れた町に。一番先に声を出して「空缶ひろいをしよう。」と言い出したのは、私達小学校のPTAのOBのお父さん、お母さん。数十名で月に二回。日曜日の朝10時に集合して、ビニールの袋片手にゴム手袋やハサミを使って側道で始めました。植込の中で空缶を投げられて当った人、オバハンこれも放ってと弁当ガラ等散々でした。回をかさねる毎に、人数もへりどうしよう、どうしよう、という月もありました。私達商工会女性部に声をかけ、十周年の記念行事の中に「町を美しくしましょう」と呼びかけ、空缶、ゴミ捨て等1日がんばりました。軽トラックで何回運んだ事でしょう。
     又お買い物をしたときの白いトレーがあります。
平成七年に美原町のスーパーすべてに、女性部の有志で手分けをして、回収箱の設置のお願いに回り、1ケ月位かかってトレーの回収箱の設置がされる様になりました。
    ここで話は変わりますが、私には二人の息子がいてます。ニ男の方は高校時代にバイクに魅せられて、明けても暮れてもバイク、バイクがすべてでした。250CC〜400CCで所かまわず、昼といわず夜といわず学校からの呼び出しに、夜遅くの電話にドキッと、又警察からの電話かと。ある日夜寝ている子供の顔を見たときの驚き、セキセイインコならず七色変化、赤青黄色、今では茶パツは珍しくないのですが、十年前は大変でした。高校停学3回。又これで退学にでもなったらと思うと、火事場のバカ力のごとく、180センチもあろうかと思う息子を2階より1階の風呂場へ。気がつくと二人共シャワーの中で、涙をポロポロ出しながら洗い続ける自分の姿。あとで聞いたところによると、吹き付けのカラーだった様です。今では笑い話です。
    今北海道の有珠山、又三宅島では爆発、地震が起こっています。私にも忘れられない事。平成7年1月17日阪神淡路大震災の事です。ニ男は何を思ったのか、昔のバイク仲間と神戸へ。ナップザックに衣類、医薬品、ポケットには何故かあめ玉を一杯入れて、ハイキ音高く出かけていきました。何の連絡も無いまま3日程たちました。夜中に帰ってきまして、口もきかず自分の部屋にこもったまま出てこず、気になってのぞききますと、あふれる涙をぬぐおうともせず泣いているのです。23歳の大の男がです。びっくりしましてたずねますと、涙々で話になりません。何時間たったでしょうか。バイク隊で神戸入りした迄は良かったのですが、小学校の避難所やら会館の様な所にも行って、お弁当やパンを配り、水をもらいに行ったりして、避難所の皆様のお手伝いをさせて頂いたそうです。3日目に帰る様になってバイクを用意していると、1台のワゴン車が止まり、若いお父さんに「すみませんが、お湯を頂きたいのです。」と声を掛けられました。車の中には3歳位の坊やと、何ヶ月かくらいの赤ちゃんが乗っていました。
   どこへ行ってもお水はあるのですが、お湯を下さるところが少ないとか。ミルクポットにお湯を満たしてさしあげると、深々と頭をさげられ「ありがとうございました。」と。「これからどちら迄」とたずねますと、二人子供を両手にだっこしながら「これからこの子達のお母さんの遺体を引き取りに行くとの事」ニ男は思わず、自分の持ってる物すべてを二人の子供にあげたかったと、ポケットにあった飴玉を3歳の坊やの両手一杯に。抱っこをしながら「強くなろうな。」会館、学校の避難所回りの中で、地下が遺体の御安置所になっている所にも行ったけど、こんな辛い事は無かった。これが現実なのだ。自分の無力、自然の力と、どうしようもない気持だったと。お手伝いをしている時は、ボランティアをしていると、心のどこかにおごりがあったのでしょう。「お母さん、いつも言ってたなぁ、勉強出来へんでもいい。人の痛みのわかる人になりいと。俺、何もわかってへんかったんやなぁ。」ボランティアに関わる事は何なのか、考えさせられました。
    最初の空缶ひろいから10年余り以上になりますが、数十人で始まったのが、今では町全体に広がり、小学生、中学生、御父兄の方々と町の行政の中で取り組んでいます。お買い物の白いトレーも、今年4月より行政の中で、分別収集が始まりました。
私共の会社は、椅子作りをしています。私を手こずらしたニ男も、椅子作り物作りでは日本の3本の指に入る師匠の許に、弟子入りをして頑張っています。
又地域に於いては、小学生の「太陽の子」という合唱団の団長をして、バイクの兄ちゃんも少しは成長した様です。
    子供の事を通して、ボランティアへの関わり方とはどういう事なのかを考えてきました。小さい事から長くかかわる、これが私です。長男は「短発しか関わられへん。」次男は「色んな事に手を出していく。」主人は「自分がどんな事にも感謝しているかどうか、ボランティアに関わらせて頂いている心が大事。」これが私共の結論です。
    我が町美原町は、みどり豊かな南大阪の古里です。皆どうぞ1度お立寄りください。ありがとうございました。
 
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